66.7‰の思い出

このブログでは改造プラレール、鉄道車両、日常をゆっくり紹介しています。

特別な存在だった車両 さようなら鶴見線205系

こんにちは。ダイヤ改正前日の22時に書いています。ついに3月16日にダイヤ改正を控え、デビューする車両もいれば去っていく車両が今年もいます。そんな中で北陸新幹線敦賀延伸による北陸特急のラストランで盛り上がる中、遠い川崎の工業地帯から消える車両があります。それが鶴見線で長らく活躍していた205系です

鶴見線205系は旧型の103系の置き換えとして登場しました。しかし、これらは改造で誕生しました。もとは山手線と埼京線で活躍していた中間車で山手線への新型車両投入による転属の際に抜き取った中間車や埼京線に山手線から抜き取った6扉車を組み込む目的で余剰になった中間車です。見分け方としては小窓が元山手線、大窓が元埼京線です。3両編成9本が改造され、それぞれ鎌倉、秋田、郡山などで改造が施工されました。

2005年に置き換えが完了しそこから約20年間、鶴見線の主力車両として日夜川崎臨海部の通勤通学を支えていました。

 

一方、2010年代に入ると103系を駆逐し、置き換えた205系は一転して追われる立場となります。中原支所でも2016年には南武線での運転を終了しました。その後、八高線でも運転が終了、2020年に入ると武蔵野線が遂に引退。22年にはE131系の登場により一気に宇都宮線日光線、相模線での運転が終了されます。この時点で首都圏に残存する205系鶴見線南武支線を残すのみとなりました。

南武支線ではE127系導入により2本が置き換えられ、その手は鶴見線まで迫ってきます

 

2023年10月にはストレート車体のE131系1000番台が登場。VVVFインバーターワンマン運転LCD、ドアチャイムなどそれまでの鶴見線のイメージを覆しました。設計面でも総合車両製作所が展開するsustinaブランドの中でE131系としてはストレート車体が初めて採用され各線区に応じたコストを抑えた車両設計が可能となったことを世に知らしめました。2023年12月のデビュー後一ヶ月程で大半の205系を置き換え置き換えられた205系国府津車両センター疎開されました。

 

 

最後まで鶴見線で活躍した205系はT17編成。鶴見線205系の最終全検施工車です。この編成は2月下旬に離脱し、遂に鶴見線から205系が消滅しました。

 

 

そして1週間後の2024年3月 遂に郡山車両センターへの廃車回送が行われました。廃車されたのはT14、T18編成。同月3日に武蔵中原から国府津疎開されたばかりでした。現在T14編成は既に解体作業が進行しておりその姿が見れなくなる日も近いです。

 

 

あれほど当たり前の存在だった鶴見線205系。T17の離脱後も予備車として広告を撤去されずに残っていたT15編成も遂に鶴見線の線路を走ること無く終わりを迎えようとしています。3月16日から鶴見線全線でワンマン運転が開始されます。これは事実上関東最後のオール205系線区の消滅といえます。鶴見線から消えた今、首都圏に残る205系が活躍する線区は南武支線2両1本のみとなってしまいました。 東北地方では仙石線鶴見線引退後も残り、鶴見線から引退した車両から部品提供を受け、これからも活躍を続けていきます。

首都圏で気軽に見られた205系ダイヤ改正と同時に遂に過去の物となってしまいます。

お久しぶりです

リアルでいろいろなことがあり書けてませんでした……受験も終わり一段落したので更新していきたいと思います

最近は南武支線にハマり、全車コンプリートを目指して製作しています。

今年で製作は一段落させたいと考えているので溜め込んでいた種車なんかは手放すことが増えてきました。

また相鉄もハマりだしました。元々好きだったんですが受験の関係で中々行けなかったりしたので今年はたくさん行こうと思います

悲しいことと言えば鶴見線から205系が引退することですかね……好きだったT15も引退してしまいました。鶴見線にはだいぶ足を運びました。嫌な思い出もあって最後の方は一ヶ月に一回程度しか行ってませんでした。

ニューシャトルもハマりました。元々沿線ということで小さい頃から良く丸山車両基地には連れてって貰ってました。1050系もいつまで残るのか気になりますね。

 

リアルはというと揉め事を起こしたり起こさされたりと上半期はかなり憂鬱でしたが運転会や受験などで下半期は毎日が多忙でした。晴れて4月から環境が変わって再スタートを切れるように精進するつもりです。

それでは。

4/3 碓氷峠遠征

楓です。今回は4/3日に行われた碓氷峠遠征の記事です。といいたいのですが、実はこの碓氷峠遠征は直前で決まりました。もともと私は珱涼さんと、群馬県の新人プラレーラーのおろはね君に会う予定でした。お金がかかるので、高崎まで大回り乗車で行くルートでした、が。この事を親に行ったら

            碓氷峠行かないん?

と言われました。2/26に大金をはたいて行ったのでもう満足はしていましたが、折角なので、おろはね君に聞いてみたところ、OK。むしろ一緒に行きたかったと大変嬉しい返事が返ってきたので、碓氷峠行きが決まりました。珱涼さんは金銭的理由で高崎まで大回り乗車で同行することになりました。更に金目鯛やはるっきー、ozasikiニキも行きたいと言ってきたので、私史上初めてプラレーラーと碓氷峠に遠征することになりました。

 

8時40分の電車で、オタク3人で高崎に向かいます。いろいろな話をしながら高崎に到着。おろはね君とozasikiと合流しました。また珱涼さんがサプライズで廃材をたくさんプレゼントしてくれましたが、ほとんどがはるっきーの手に渡ったのは内緒

珱涼さんと別れて、信越本線へ 普段は長いように感じますが、オタクと行くと長くは感じなかったです。体感10分で横川に到着しました。そしてozasikiが行きたいと言った釜飯資料館に行きましたが......

土日以外休館日

これにはozasikiも「115のモケットぉぉぉ!!!」と崩れ落ちてました。

文化むらに到着し、入園前にロクサンを見るのですが......

なんと推し機の11号機が。そういえば11号機の力走は去年の4月1日以来見てませんでした。私が製作した11号機とツーショットしました。尚、発車の際に汽笛恐怖症のはるっきーが約100メートル離れた所でロクサンの汽笛を聞いても「いやぁぁぁぁぁ」と言っていたのは秘密

そして文化むらに入り、189やロクサンを見たら屋外へ D51 96とEF80 63が出迎えてくれます。またD51の後ろのマイネ40とスニ30が塗り直され、私は約2年の碓氷峠訪問の中で初めてスニ30のブルーシート無しの姿を見ました。現在は何故がブルーシートはEF30にかけられてます。

そしてオハネ12とのツーショット。 カッコいいですね。 オハネ12も塗り直されましたが車内の壁はボロボロでした。いつか多分塗り直されるでしょう

そして オタクと作品を並べました。どれも良い作品ですね。

そして園内も見終わった所で横川に戻り、昼飯

峠の釜飯で有名な荻野屋の蕎麦を食べました。何気に生卵、初めてでした。

そしたら峠の湯まで歩きます。前来たときも歩きましたが、めっちゃキツイしめっちゃ時間かかりました。しかし やはりオタクと行くと体感20分でついてしまいました。不思議ですね。ロクサンを見て、峠を下ります。そして下り終わると既に15:50分。おろはね君とお別れです。尚、行きの電車でおにまいとみはりのエロさを布教したのでしばらくは大丈夫でしょう!みはりは捨てるなよ!そしてお土産を買って16:30の電車で高崎へ ドクターペッパーのクソ不味い味は一生忘れません! そしてozasikiと別れて高崎から大宮へ帰ります。大宮で金目鯛と別れましたが、時既に18:40分、はるっきーと蓮田で別れて帰宅しました。ということで碓氷峠遠征でした。過去最高に楽しかった遠征でしたし、やはりオタクと行くと時間は一瞬だなと感じ少し寂しかったです。頑張って高崎に住みたいですね

それでは~

東洋運転会5

こんにちは。今回は3/12に開催された東洋5のレポートです。参加者は金目鯛、珱涼さん、RAILWAYSGALAXYさん、しーさいどさん、そしてはるっきーです。 9時から設営を開始し、約1時間で設営を完了させました。初めて机上での運転会だったのでいろいろな方からアドバイスをいただきました。

レイアウトが完成したら走行開始

今回の新作のみちのくSLギャラクシー。見たまんま銀河ですが雰囲気はあるので良かったです。

裏東洋じゃないのでSLはあまりいませんが、やっぱり機関車が多いですね。

珱涼さんの3950とはるっきーの3980。どちらもかっこいいですね。尚、3920を楓がやれと言われましたが気力が無に等しいのでやる気がでたらやりましょうかな

しーさいどさんの京急と私のC57、EF81。しーさいどさんの作品はどれも加工が綺麗でした。

運転会でしか実現しないEF65 2127並び。かっこいい

電装化C57。

はしゃぐ主催 

ヨシ!

お昼になったので3人ずつでマックに行きました。

はるっきーと金目鯛。過激なオタク共

ブックオフに寄り道して会場へ帰還。また、会場で講話会を開催している男性から是非、運転会を一般公開して貰いたいと言われました。嬉しい限りですね。

なんやかんやしてると撤収時間になったので撤収。そんなに時間はかからなかったので、そのまま恒例のホワイトボードを書いて退散しました。

ということで東洋運転会5の記事でした。初めて机上での運転会だったのでいろいろな方にアドバイスをしていただいたおかげでとても思い出に残る運転会になりました。次回も迫っているので、新作を量産しつつ、頑張っていきたいです。改めて参加者の皆様ありがとうございました!